右文書院

連載 ほろにがの群像 朝日麦酒の宣伝文化とその時代

第16回 水ドラ事件と壜の中の大事件

 濱田研吾 

画像:ニッポン放送『目白三平物語』新聞広告(昭和29年11月3日付け読売新聞夕刊)<部分拡大>

*1 ニッポン放送『目白三平物語』新聞広告(昭和29年11月3日付け読売新聞夕刊)<部分拡大

1950年代は、ラジオドラマの全盛期。民放時代の到来とともに多くのドラマがつくられ、舞台の名優や映画スターが出演、さまざまな企業がスポンサーに名乗りをあげた。

画像:ニッポン放送『目白三平物語』新聞広告(昭和29年11月3日付け読売新聞夕刊)

*1 ニッポン放送『目白三平物語』新聞広告(昭和29年11月3日付け読売新聞夕刊)

それは、ビール会社もおなじである。『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』(ラジオ東京)の朝日麦酒だけではなく、ライバルの日本麦酒と麒麟麦酒もドラマとスポンサー契約。 日本麦酒は、宇野重吉と小夜福子が夫婦役のホームドラマ『目白三平物語』(ニッポン放送 *1)、麒麟麦酒は、山形勲のホームズ、 永井智雄のワトソンのコンビで『シャーロック・ホームズの思い出』(ラジオ東京 *2)を提供した。ほかにも、寿屋(現・サントリー)提供の 『今晩は!幽霊です』(ラジオ東京/出演:東野英治郎)、神谷酒造提供の『雷電』(ラジオ東京/出演:宇野重吉)など、ほかの酒造メーカーもスポンサーになっている。 ただし、いずれも人気の上では「チャカ・ウカ」に遠く及ばない。

画像:ラジオ東京『シャーロック・ホームズの思い出』収録風景(昭和30年5月12日付け『ラジオ東京ニュース』)

*2 ラジオ東京『シャーロック・ホームズの思い出』収録風景。ワトソン役の永井智雄(左)とホームズ役の山形勲(右)(昭和30年5月12日付け『ラジオ東京ニュース』)

朝日麦酒は「チャカ・ウカ」だけではなく、ラジオ東京の『水曜日ドラマ』(以下「水ドラ」)のスポンサーにもなった。「水ドラ」は、NHKの『金曜日ドラマ』に対抗した単発のドラマ枠で、 昭和26年12月の開局とともにスタート。水曜夜9時台に50分間放送された。なかでも、北條秀司作『井伊大老』(昭和28年2月放送 *3)は、 俳優座の青山杉作、千田是也、東山千栄子、小沢栄(小沢栄太郎)、永田靖、松本克平、永井智雄、岸輝子、文学座の杉村春子、中村伸郎、宮口精二、 劇団民藝の滝沢修、宇野重吉、清水将夫、小夜福子と、新劇三大劇団の幹部俳優が一堂に会し、話題を集める。

画像:昭和28年1月25日付け読売新聞夕刊「ラジオ特集」

*3 昭和28年1月25日付け読売新聞夕刊「ラジオ特集」(『井伊大老』は新国劇で上演予定だったが、トラブルで上演中止となり、かわりにラジオドラマ化される経緯があった。 これにより北條は一時期、新国劇との関係を絶っている)

朝日麦酒が「水ドラ」のスポンサーとなるのは、『井伊大老』から2ヶ月後の28年4月。同年6月7日付け読売新聞夕刊「『水ドラ』をめぐる攻防戦」には、 某ビール会社が、ドラマの枠内にとどまらない特別番組にすることを主張したと紹介されている。そもそもスポンサーになったのは、ドラマが目当てではなく、 ゴールデンタイムに単独スポンサー枠が欲しかったからである。しかも「水ドラ」は聴取率が悪く、朝日麦酒としてはテコ入れを考えたい。

それに対して「水ドラ」スタッフは、吉井勇や久板栄二郎ら有名作家に執筆を依頼するなど、ドラマづくりに自負がある。当然、朝日麦酒の思惑がおもしろくない。 そこで、従来の「水ドラ」路線を踏襲しながら、西洋音楽をテーマにした朝日麦酒独自の作品も放送し、それでも聴取率が改善しなければスポンサーを降りるという結論になった。

こうして朝日麦酒がスポンサーになったのちも、「水ドラ」は質の高い作品を送りつづける。小山祐士作『従姉妹たち』(6月17日放送/出演:水谷八重子、杉村春子、細川ちか子、荒木道子)、 吉井勇作『露の夜道』(6月24日放送/出演:大矢市次郎、伊志井寛、英太郎)、さらに、蘆原英了構成のシャンソン劇『わたしはダミア』(5月6日放送/出演:ダミア、杉村春子)といった、 スポンサーの意向を思わせる音楽ドラマもあった。

しかし、聴取率は悪いままで、小沢不二夫作『怒濤劇場』(7月29日放送/出演:森雅之、加東大介、芦田伸介)をもって、朝日麦酒はスポンサーを降板する。 それを機にラジオ東京は「水ドラ」を打ち切り、熱心なファンの怒りを買う。怒りの矛先は朝日麦酒にも向けられ、 この騒動はのちに関係者の間で「水ドラ事件」と呼ばれることになった(ただし、社史の『Asahi100』と『アサヒビール宣伝外史』には言及されていない)。

「水ドラ」には、謎もある。朝日麦酒のスポンサー第1回作品は、和田勝一作『土につぶやく人』(4月15日放送/出演:山形勲、浜村純、下條正巳)だが、それとは別の台本が存在するのである。 それが、伊馬春部作『選挙資金いか程にても御用立て申すべく候』(*4)。「アサヒビール提供」と印刷された台本には、「4月11日録音、4月15日放送」とあり、キャストは未定になっている。 しかし、実際に放送されたのは『土につぶやく人』で、伊馬が書いた本作が放送された形跡はない。

画像:伊馬春部作『選挙資金いか程にても御用立て申すべく候』台本

*4 伊馬春部作『選挙資金いか程にても御用立て申すべく候』台本

『選挙資金いか程にても御用立て申すべく候』の主人公は、日本保守新党公認候補・片岡源左衛門の息子・英介。 大学生の英介は、父親の選挙活動に嫌気がさし、手伝いをさぼって実家の屋根裏にこもっている。そこで英介は、死んだ祖父が遺した埋蔵金に関する文書を見つけ、 妹のきみ子と埋蔵金探しを始め、山の精霊が住む地下宮殿にたどりつく。物語は、精霊たちが時価2000億円の埋蔵金を選挙資金に用立てるものの、すべては英介の夢だったというオチで終わる。

台詞の随所に「バカヤロー解散」「黙秘権」といった当時の流行語があるが、放送中止になるほどの過激さはない。人間と山の精霊のやりとりは幻想的で、ユニークな風刺喜劇になっている。 しかし、本作については『年刊ラジオドラマ』(宝文館)所載の放送リストに記載はなく、「水ドラ」のラインナップにもない。 伊馬春部(*5)は、NHKやほかの民放にも台本を書いているが、『選挙資金いか程にても御用立て申すべく候』や、内容と合ったような別タイトルの作品は見つからなかった。

画像:昭和28年ごろの伊馬春部

*5 昭和28年ごろの伊馬春部(NHKスタジオにて/北九州市立文学館『生誕100年記念・伊馬春部展』図録/平成20年9月)

ではなぜ、放送されなかったのか。実は、放送予定日から4日後の4月19日に衆議院選挙が、24日に参議院選挙が行なわれている(5月に第5次吉田茂内閣が成立)。 「埋蔵金を選挙資金に流用するストーリーは、時期的に不謹慎」とラジオ東京が考え、朝日麦酒が賛同したという推測は成り立つ。

いっぽうの伊馬は、ムーラン・ルージュ新宿座の文芸部出身で、放送界では当時知られた存在。せっかく書いた幻想的な風刺喜劇が、局やスポンサーの都合で放送中止になったら、 不愉快になるはずだ。それ以降、伊馬が「水ドラ」に執筆しなかったことも、納得できる。

こうしたトラブルを抱えたまま、朝日麦酒は「水ドラ」のスポンサーとなったが、聴取率は悪く、わずか2ヶ月でスポンサーを降板する。 しかも番組そのものが打ち切られる事態となり、後味の悪い結末となった。『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』の成功とくらべても、対照的である。

朝日麦酒がスポンサーのラジオドラマでは、もう1本、放送中止に追い込まれた作品がある。それが、『壜の中の大事件』(*6)。 社長の山本為三郎が「ラジオドラマをつくれ」と言い出し、業務第1課のメンバーが飯沢匡に相談。コマーシャルとドラマを融合させたタイアップ作品『壜の中の大事件』(ほろにが同人作)が完成する。 業務第1課の河井公二によると、飯沢が懇意にしていた文学座の座員(三津田健、賀原夏子、十朱久雄ら)が出演し、NHKの熟練スタッフに指導を仰ぎながら、ラジオ東京の有楽町スタジオで録音が行なわれた。

画像:ほろにが同人作『壜の中の大事件』台本

*6  ほろにが同人作『壜の中の大事件』台本(『アサヒビール宣伝外史 揺籃期の栄光と挫折』)

しかし、ドラマの台詞にスポンサーの商品名を入れることを許したら、ほかの企業も真似をしかねない。結局、ドラマに商品名を入れることに反対の声が出て、放送中止になってしまう。 伊馬の『選挙資金いか程にても御用立て申すべく候』をふくめ、当時は土壇場での放送中止が多かったのだろう。その後、『壜の中の大事件』の台本(ガリ版プリント)は、電波媒体を担当していた宣伝課の米内貞弘が退職する際、 上司だった河井公二が、「君が持っているのがふさわしいから」と米内にプレゼント。台本は、同氏が大切に保存したのち、所蔵の広告関係資料とともに、アサヒビールの資料室へ後年寄贈された。

飯沢匡は『壜の中の大事件』ののち、政治家の葬儀をめぐる人間模様を描いた『二号』を執筆する。そのなかで、通夜や告別式を印象づける小道具として、 ビールとオレンジジュースを登場させ、《今、アサヒビールの社長から30ダース、届いた》との台詞を入れた。文学座公演(昭和29年)では、飯沢が演出を手がけ、 朝日麦酒が商品を提供。その見かえりとして、客席からラベルが見えるようにアサヒビールを舞台に並べた(*7)。 『二号』について文学座の北見治一は、《これほど客が笑った舞台をほかにしらない》(『回想の文学座』)と回想しているが、喜劇だからこそ演出上の遊びも許されたのだろう。

画像:飯沢匡作・演出の文学座公演『二号』スチール

*7  飯沢匡作・演出の文学座公演『二号』スチール(昭和32年の再演時のもの)。写真右下にアサヒビールが並んでいる(北見治一『回想の文学座』中公新書/昭和62年8月)

飯沢と業務第1課が目論んだタイアップドラマは幻に終わったが、舞台ではささやかに実現したことになる。

つづく

謝罪文
上記の『水ドラ事件と壜の中の大事件』台本のその後について、
米内貞弘氏ご本人から、ご指摘とご教示をいただきました。
筆者の文章に事実誤認があったため、該当箇所につきまして、
上記の通り訂正させていただきます。
米内氏をはじめ、関係各位にご迷惑をおかけしましたことを、
深くお詫び申し上げます。(濱田研吾)
プロフィール
濱田研吾(はまだ・けんご)
ライター。昭和49年、大阪府交野市生まれ。
日本の放送史・俳優史・広告文化史をおもに探求。
著書に
徳川夢声と出会った』(晶文社)、
『脇役本・ふるほんに読むバイプレーヤーたち(書籍詳細へ)』(右文書院)。
三國一朗の世界・あるマルチ放送タレントの昭和史』(清流出版)。
注記
本稿の無断転載は、ご遠慮ください。
図版は、特記なきものは筆者所蔵のものです。