● 濱田研吾 ●
朝日麦酒にとって、全国区で“アサヒビール”の知名度を高めることは、創業以来の悲願であった。『ほろにが通信』や「ABパズル」は知名度アップに貢献はしたが、起爆剤とまではいえない。 それだけに、ラジオ東京の放送劇『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』(以下「チャカ・ウカ」)に提供したことは大きかった。同局のスポンサー企業である朝日麦酒にとって、電波媒体に参入して初のヒット番組となったのである。
「チャカ・ウカ」は、戦後のラジオ文化を語るうえで欠かせない。雑誌『ノーサイド』(文藝春秋)の特集「懐かしのラジオデイズ」(平成8年2月号)では、 映画研究家の田中眞澄が戦後のラジオドラマ16本を紹介しているが、そのなかには「チャカ・ウカ」もある。 しかも、そのうち12本はNHKドラマで、民放を代表する人気ドラマだったことがわかる。
「チャカ・ウカ」は、日曜をのぞく毎朝9時台に放送された15分番組で、1話完結のホームドラマだった。 茶刈家の春子(チャッカリ夫人)と宇刈家の秋子(ウッカリ夫人)が交互に主役をつとめ、市川三郎、佐々木恵美子、中江良夫、吉田みき、菜川作太郎らが分担してシナリオを書いた。
第1回放送は、ラジオ東京が開局した昭和26年12月25日。朝日麦酒は当時、平川唯一の『カムカム英語』のスポンサーだったため、「チャカ・ウカ」には提供していない。 初代のチャッカリ夫人は文学座の南美江、ウッカリ夫人は声優の北原文枝で、当初は市川、佐々木、梅田晴夫による風刺コント集として放送された(*1)。 そののち、山の手の住宅街に住む家庭を舞台にしたホームドラマへとリニューアルされる。
朝日麦酒がスポンサーとなるのは、そのあとのこと。古川緑波の『ロッパ言語学』(本連載13回参照)が終了して1週間後の昭和27年10月からで、 「チャカ・ウカ」の前任スポンサーが番組から降りてしまったため、中央放送広告の五味正夫のすすめで後任のスポンサーとなったようだ。 しかし、聴取率は思うように伸びず、舞台を山の手から下町へ変えてリニューアル。茶刈家は魚屋、宇刈家は花屋となり、母物を得意とした望月優子をチャッカリ夫人に、 のちに演出家となる真山美保をウッカリ夫人に起用した。だが、山の手で失敗したから下町に……との発想は短絡的だったようで、下町版「チャカ・ウカ」の評判はいまひとつだった。
かくして番組は、3度目のリニューアル(昭和28年5月)を余儀なくされる。今回は、平凡なサラリーマン家庭が舞台となり、チャッカリ夫人に淡島千景、 夫の五郎に本郷秀雄、ウッカリ夫人に久慈あさみ、夫の正夫に佐野周二といった顔ぶれになった(*2)。脇役専門の本郷をのぞくと、いずれも主演級の映画スターで、 このリニューアルは評判をよぶ。豪華キャストであるとともに、平凡なサラリーマン家庭での物語が、夫と子どもを送り出し、家事をしながらラジオを聴く主婦層の琴線にふれた。 魚屋と花屋が舞台の下町版「チャカ・ウカ」にくらべると、サラリーマン家庭が舞台のほうが、主婦としては親近感をもったのである。
「チャカ・ウカ」は、1話完結の15分ドラマで、物語はシンプルだった。佐々木恵美子のシナリオ集『明朗ラジオドラマ集』(英宝社/昭和37年1月 *3)をみると、 間違って捨ててしまった福引券がテーマの「ゴミの中にも花が咲くの巻」、会社社長の講演放送から起きる騒動を描いた「かくて社長のご機嫌はの巻」、 錯綜する電話の応対でパニックになる「モシモシあなたですかの巻」など、他愛のない日常の事件を描いた話がならぶ。同時期に放送された菊田一夫の純愛大河ドラマ『君の名は』(NHK)とは違い、 聴取者が1度聴き逃しても困らない。そのうえ、15分のラジオドラマにしては豪華キャスト(高橋貞二、加藤治子、大坂志郎、坂本武、汐見洋らが準レギュラー出演)で、 佐々木恵美子と吉田みき、2人の女流作家を起用し、女性目線で両夫人の言動をとらえたのも成功の一因だろう。
そのかわり、脚本家は苦労を強いられた。数人のライターで分担して書くとはいえ、サラリーマン家庭の日常をドラマに仕立て、15分で完結させる制約がある。 毎回、聴いていれば、聴取者の耳も肥えてくるから、「夫が酔っぱらって帰ってくる」「近所に泥棒が出る」といったおなじみネタは使いまわしにできない。マンネリにならぬよう、 「泣き」と「笑い」をバランスよく配分する必要もあり、佐々木恵美子は、《大した分量でもないのに、まるで毎日追いたてられるような気持ち》(『明朗ラジオドラマ集』)と回想している。 当時の音源はほとんど残っていないが、番組台本を読んでみると、15分にしては文字量が多く、ハイテンポだったことがわかる。そうしたテンポのよさが、 淡島千景と久慈あさみの芸風とマッチして、「チャカ・ウカ」の魅力をさらに高めた。
かくして「チャカ・ウカ」は絶頂期をむかえ、全国23局ネット(昭和28年)で放送される人気ドラマへと成長。戦後のラジオ黄金時代を象徴するプログラムとなっていく。 メインライターと主要キャストが番組を降板せず、チームワークのよさを長く保ったことも、支持をあつめた秘訣といえる。
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淡島千景と久慈あさみの「チャカ・ウカ」人気が高まったことを、朝日麦酒は当然喜んだ。業務第1課の長谷川遠四郎や中央放送広告の五味正夫は、 「チャカ・ウカ」のクオリティや聴取率に目を光らせていたはずで、喜びはひとしおだったはず。「チャカ・ウカ」人気に便乗し、番組と自社商品とのセット広告を思いつくのも無理はない。 たとえば、番組宣伝をかねた中吊りポスター(*4)は、それが顕著である。デザインをみると、ラジオの番組広告なのか、アサヒビールとバャリースオレンヂの広告なのか、 にわかに判断がつきにくい(ようするに両方なのだろう)。
シナリオをノベライズ化した単行本『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』(日本出版協同/昭和28年12月)もすごい。 カバー表紙には宇刈一家が描かれているが、よくみると久慈あさみが手に持つのはアサヒビール(*5)。文字どおり、チャッカリしているカバーデザインだ。
番組内のCMが話題になったのも、3度目のリニューアル後だった。淡島千景が歌うCMソングや、CMコピー「バャリースのホットオレンヂ」(三國一朗作)は、 「チャカ・ウカ」の陽気な世界を損なわないものに仕立てられ、好評を得る。CMソングはパイロット版を3曲つくり、聴取者から人気投票を募ったが、こうした用意周到さは、 アドマン五味の才気煥発といったところだ(具体的なCM内容は、本稿の最後に紹介した)。
こうして「チャカ・ウカ=アサヒビール・バャリースオレンヂ」のイメージは少しずつ浸透していき、朝日麦酒はスポンサー契約を継続していく。 昭和29年9月12日付「読売新聞」夕刊には、特集記事「揺がぬ人気プロNo1・愛情で取組むスター」(*6)が組まれ、スポンサーとしては鼻高々といえよう。 それにスポンサー商品が、ちょっと贅沢な気分にさせてくれるビールとオレンジジュースであることが、「チャカ・ウカ」のよき持ち味になった。
こうしたラジオ人気に合わせ、「チャカ・ウカ」は、映画シリーズへと発展。朝日麦酒はここでもスポンサー協賛し、チャッカリぶりをさらに際立たせていくことになる。
(つづく)