右文書院

連載 ほろにがの群像 朝日麦酒の宣伝文化とその時代

第15回 『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』の世界【後編】

 濱田研吾 

『チャッカリ夫人とウッカリ夫人・夫婦御円満の巻』ポスター画像

*1 『チャッカリ夫人とウッカリ夫人・夫婦御円満の巻』ポスター

前回に引きつづき、朝日麦酒提供のラジオドラマ『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』(ラジオ東京/以下「チャカ・ウカ」)について書く。

『アサヒビール宣伝外史 揺籃期の栄光と挫折』(中央アド新社/平成11年3月)のなかで、業務第1課にいた河井公二は、 《スポンサーが積極的に介入し、代理店と局の3者が一体化して初めていい番組ができるという信念をもってやった》と語っている。 これを悪く解釈すれば、スポンサーの朝日麦酒が番組づくりに介入したと受けとれる。実際のところ、「チャカ・ウカ」はどうだったのか。 脚本づくりに介入しないまでも、中央放送広告の五味正夫と業務第1課のメンバーが、内容と聴取率をチェックしていたのはたしかだろう。

スポンサーにとって幸いだったのは、ドラマ本編にビールとオレンジジュースを無理なく登場させることができたことだ。ラジオであれば、飲み物をコップにそそぐ音を美味しそうにつくることができる。 佐々木恵美子作「青葉若葉のころなればの巻」(昭和32年5月放送)を例にすると、《「さあ、あなた、お待ち遠さま、おなかおすきになったでしょう。 まず、おビールを1杯召し上がれ」「ああ、ありがと。さァ、君も、ビール1杯どうだい」「ア、すみません」》という茶刈夫婦のやりとりがある。それに合わせてビールをつぐ音が効果音で流される。 わざわざ商品名を言わなくても、それでじゅうぶんスポンサーのPRになる。

15分番組の最初と最後にCM(本連載第14回参照)が入るので、聴取者はドラマに出てくるビールとオレンジジュースを、 アサヒビールとバャリースオレンヂに結びつけることもできる(当初は「バャリースオレンヂ」単独の提供だったが、途中で「アサヒビール」の提供が加わった)。 それに、番組そのものの人気が高いので、単独スポンサーでいることだけで企業イメージはプラスになった。

朝日麦酒が内容に介入したとすれば、それはラジオではなく、シリーズ化された映画版「チャカ・ウカ」のほうだろう。 当時は、テレビの本放送開始の前後で、人気ラジオドラマが映画化されるのは一般的だった。「チャカ・ウカ」はそれと同じ流れにあり、その多くが朝日麦酒のタイアップ作品である。 映画版「チャカ・ウカ」のラインナップは以下のとおり(T:茶刈夫妻、U:宇刈夫妻)。

 

『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』(新東宝/昭和27年4月封切)

T:久慈あさみ・田崎潤、U:折原啓子・田中春男

『続チャッカリ夫人とウッカリ夫人・底抜けアベック三段とび』(新東宝/27年7月)

T:轟夕起子・田崎潤、U:折原啓子・田中春男

『ウッカリ夫人とチャッカリ夫人・やりくり算段の巻』(東宝/29年3月)

T:東郷晴子・本郷秀雄、U:久慈あさみ・佐野周二

『その後のウッカリ夫人とチャッカリ夫人』(東宝/29年8月)

T:楠トシエ・本郷秀雄、U:久慈あさみ・佐野周二

『お景ちゃんのチャッカリ夫人』(松竹/29年10月)

T:淡島千景・若原雅夫(宇刈夫妻は登場せず)

『チャッカリ夫人とウッカリ夫人・夫婦御円満の巻』(東宝/31年1月)

T:淡島千景・本郷秀雄、U:久慈あさみ・佐野周二

 

このなかで、人気のあったラジオ版の顔ぶれ(淡島、本郷、久慈、佐野)は、決定版として公開された最終作『夫婦御円満の巻』(*1)だけ。 あとの5本は出演者が異なり、2作目の『底抜けアベック三段とび』には、ラジオ版のキャストが誰も出ていない。チャッカリ夫人役の淡島千景は当時、 松竹専属のため、4作目の『お景ちゃんのチャッカリ夫人』まで出演できない経緯もあった。シリーズ全体のタイトルも不統一で、役名と人物設定も違っていた。

ラジオ版のキャストではなかったから、映画版は同じように大ヒットとはいかなかった。人気ラジオの映画版としては、佐田啓二と岸恵子コンビの『君の名は』(松竹/昭和28~29年)や、 中村錦之助と東千代之介を売り出した『新諸国物語』(東映/昭和29~30年)のほうが、話題性と興行成績の点で軍配があがる。 ストーリーも、各地を転々とする壮大なスケールの『君の名は』にくらべると、「チャカ・ウカ」は他愛のないホームドラマで、映画としての目新しさは少ない(昭和29年だけで3本封切られているので、それ相応のヒットはしたようだが)。

それでも朝日麦酒にとって「チャカ・ウカ」の映画化は、自社商品を映像でPRできる絶好の機会になる。当然、映画と自社商品をセットにしたPR作戦に抜かりはない。 新聞広告(*2)に商品名を印刷し、『ほろにが通信』に映画化の記事(*3)を載せ、社長の山本為三郎は東宝の砧撮影所へ表敬訪問を行なった。 映画館に配布された『その後のウッカリ夫人とチャッカリ夫人』のプレスシートには、《この作品は放送のスポンサー「アサヒビール」が全面的にタイアップしています。 全国主要都市に支社があります故連絡をとって下さい》との一文があり、全国に支店や契約小売店をもつ朝日麦酒の協賛は、映画会社の集客対策のうえでも欠かせなかった。

『ウッカリ夫人とチャッカリ夫人・やりくり算段の巻』新聞広告画像

*2 『ウッカリ夫人とチャッカリ夫人・やりくり算段の巻』新聞広告

『ほろにが通信』第44号画像

*3 『ほろにが通信』第44号

映画版「チャカ・ウカ」は、リバイバル上映やCS放送が少なく、観賞の機会に恵まれないが、台本をよむと朝日麦酒の積極的な姿勢がよくわかる。 シリーズ最終作『夫婦御円満の巻』のラストは、宇刈一家と茶刈夫妻が伊豆のみかん山へハイキングに出かけるシーンで、《歌声が流れ、陽の照る道を、バャリースオレンヂのトラックが走る》と台本のト書きにはある。 オレンジとみかんは別の品種だが、このあたりはご愛嬌というべきか。

また、『その後のウッカリ夫人とチャッカリ夫人』のラストは、こんなシーンだった。早稲田大学演劇博物館所蔵の決定稿台本から引用してみる。

 

舟原「宇刈さん、大変だ」

秋子「何ですか」

舟原「これを見てごらん。(新聞を出す)あんた1年間ビールが只で飲めるぞ、は、は、は」

宇刈「あー懸賞、当たったんですね。すっかり忘れてた。みんなで1杯やりますか」

秋子「まあ」

舟原「そう願いますかな」

(宇刈家の前)ビールを満載したトラックが来て止まる。(舟原家の庭)宇刈一家、茶刈夫妻、大友夫妻、舟原老人夫妻、茶ノ木、幸子、浦島達が楽しくビールの満をひき乍ら、合唱している。舟原老人、フラフラと立上り、歌に合わせてドラを叩く。その心あたたまる情景よろしく――(終)

 

該当シーンのスチール(*4)をみると、飲み会をたのしむ出演者のまわりに、アサヒビールとバャリースオレンヂが山積みされている。 懸賞で1年分のビールが当たり、みんなで仲良く騒ぐラストは、朝日麦酒がシナリオづくりに介入した証拠だろうか。ほかにもスチール(*5、6)をみると、 さまざまな場面にアサヒビールとバャリースオレンヂが登場していて、すこし食傷気味になる。

『その後のウッカリ夫人とチャッカリ夫人』スチール。画像

*4 『その後のウッカリ夫人とチャッカリ夫人』スチール。ラストの舟原家・庭のシーン

『その後のウッカリ夫人とチャッカリ夫人』スチール。画像

*5 『その後のウッカリ夫人とチャッカリ夫人』スチール。アサヒビールで乾杯する宇刈夫妻(久慈あさみ、佐野周二)

『チャッカリ夫人とウッカリ夫人・夫婦御円満の巻』スチール。画像

*6 『チャッカリ夫人とウッカリ夫人・夫婦御円満の巻』スチール。朝日麦酒提供の架空のテレビ番組に出演し、賞品を貰う出演者(左より、佐野周二、本郷秀雄、沢村みつ子、久慈あさみ、淡島千景)

こうした広告や商品を用いた映画タイアップは、戦前から盛んな手法だった。朝日麦酒の前身である大日本麦酒のタイアップ映画『音楽喜劇・ほろよひ人生』(P.C.L./昭和8年8月)は、その1つ。 映画をみると、ヒロイン(千葉早智子)が生ビールの売り子だったり、ヒロインにフラれたアイスクリーム売り(藤原釜足)がビヤホール経営者として再出発したり、 ラストシーンで出演者が「ビールの唄」(作詩は徳川夢声)を合唱したり、さまざまなタイアップシーン(*7)が連発する。それにくらべると、映画版「チャカ・ウカ」の自社PRは、まだささやかなものだった。

『音楽喜劇・ほろよひ人生』。画像

*7 『音楽喜劇・ほろよひ人生』。ビヤホールの壁に大日本麦酒のブランドビールが描かれている

戦後の朝日麦酒タイアップ映画は、「チャカ・ウカ」のほかにもある。小津安二郎の『彼岸花』(松竹/33年9月 *8)や『秋日和』(同/35年11月)では、 アサヒビールとバャリースオレンヂの瓶のほか、伊藤憲治デザインのビールケースやバャリースの灰皿が、小道具として登場する。また、森繁久彌主演の『続・サラリーマン忠臣蔵』(東宝/36年2月)には、 朝日麦酒が惜しげもなく商品を提供した、ビル屋上での祝賀パーティーシーン(*9)があった。

『彼岸花』。画像

*8 『彼岸花』。平山(佐分利信)をアサヒビールでもてなす初(浪花千栄子)と幸子(山本富士子)(『写真集・佐分利信』私家版/昭和58年9月)

『続・サラリーマン忠臣蔵』。画像

*9 『続・サラリーマン忠臣蔵』。アサヒビールで祝杯をあげる出演者(左より、加東大介、森繁久彌、三船敏郎、志村喬)

映画版「チャカ・ウカ」はシリーズ6作目で打ち止めになったが、ラジオは長くつづき、昭和33年5月に放送2000回をむかえる。それを見届けた朝日麦酒は同年7月、スポンサーを降板。 この年の秋に宣伝課を新設し、責任者は長谷川遠四郎から河井公二へ引き継がれたが、組織体制の変化とともに「チャカ・ウカ」との縁が切れたのである。 このとき、放送業務のブレーンだった五味正夫は亡く、もし存命であれば、スポンサーをつづけるべく朝日麦酒に提案していたかもしれない。

「チャカ・ウカ」はそのあと、昭和36年の放送10周年を機に、淡島、久慈、佐野、本郷がそろって降板。タイトルが『ウッカリ夫人とチャッカリ夫人』に変わり、 大映の若尾文子と船越英二を宇刈夫妻に、声優の増山江威子(バカボンのママや峰不二子の声で有名)と佐伯徹(「チャカ・ウカ」でアプレ青年を演じた)を茶刈夫妻に起用して、キャストを一新した。

それから3年後の昭和39年10月、13年つづいた「チャカ・ウカ」は大団円をむかえる。最終回「栄光は降る星のごとくの巻」(市川三郎作)は、ウッカリ旦那がはれて係長に昇進するエピソードで、 番組は最後まで明るさをうしなわず、その歴史にピリオドを打った。

最後にラジオと映画以外の「チャカ・ウカ」について記すと、昭和40年にTBS、58年にフジテレビがそれぞれテレビドラマ化。単行本では、28年に共著のノベライズ版(日本出版協同)、 34年に小坂井ひでおの漫画版(兎月書房)、37年に佐々木恵美子のシナリオ集(英宝社)が刊行された。

北町一郎「チャッカリ娘とウッカリ息子」(『婦人倶楽部』昭和30年4月号)画像

*10 北町一郎「チャッカリ娘とウッカリ息子」(『婦人倶楽部』昭和30年4月号)

また、昭和30年には作家の北町一郎がユーモア小説『チャッカリ娘とウッカリ息子』(*10)を『婦人倶楽部』(講談社)に連載、同じ年に漫画家の原やすおが、『うっかり姫とちゃっかり姫』(はこべ書房)を刊行している。 どちらも本家のラジオ版との関連性はないが、「チャカ・ウカ」の人気がうかがえるタイトルである。

つづく

プロフィール
濱田研吾(はまだ・けんご)
ライター。昭和49年、大阪府交野市生まれ。
日本の放送史・俳優史・広告文化史をおもに探求。
著書に
徳川夢声と出会った』(晶文社)、
『脇役本・ふるほんに読むバイプレーヤーたち(書籍詳細へ)』(右文書院)。
三國一朗の世界・あるマルチ放送タレントの昭和史』(清流出版)。
注記
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