● 濱田研吾 ●
昭和30年代までの日本の広告は、写真によるグラフィックアートより、イラストレーションが主流を占めていた。 広告を手がけるスタッフのなかには、多くの画家、漫画家、イラストレーターがいて、たとえデザイナーであっても、イラストを描くことが多かった。
創業まもない朝日麦酒にも、多くの描き手があつまった。社員では、小倉得宇(漫画家のオグラトクー)とベテランデザイナーの後藤庸男、 外部からは、『暮しの手帖』の花森安治、漫画家の横山隆一、デザイナーの河野鷹思、絵本画家の土方重巳、影絵作家の藤城清治などが招かれた。 また、『ほろにが通信』掲載の挿絵や4コマ漫画のために、漫画家の秋好馨、麻生豊、加藤芳郎、宮尾しげを、日本画家の生沢朗、洋画家の古沢岩美、型染作家の芹沢銈介らが作品を寄稿。 6人の漫画家(小野佐世男、杉浦幸雄、横山泰三、萩原賢次、根本進、増田昭造、岡部冬彦)による競作マンガ「ビールの洪水きたる!」(第14号/*1)が掲載されるなど、そうそうたる顔ぶれがそろう。
こうした描き手は、その多くが飯沢匡の紹介によるものだった。漫画家の岡部冬彦(*2)も、そのひとりである。 東京美術学校図案科出身の岡部は、ライオン歯磨宣伝部を退社後、河野鷹思の紹介でサン・ニュース・フォト社(のちのサン出版社)に入社。 名取洋之助が創刊したばかりの『週刊サンニュース』のスタッフとなる。岡部はそこで誌面レイアウトを担当したが、名取の勧めにあり、表紙画(*3)やイラストを描くようになる。 そこから漫画家の道を志すが、当時はまだ無名で、昭和28年に絵本『ちびくろ・さんぼ』(岩波書店)のイラストを手がけるまで、本格的な著作を持っていない。
いっぽうで飯沢は、漫画文化への理解が深く、副編集長時代の『アサヒグラフ』に「マンガ学校」を開設するなど、多くの新人に発表の場を与えた。 飯沢と岡部の出会いの経緯は不明だが、飯沢、岡部、名取の3人は新橋の酒場「トントン」の常連だったので、当然顔見知りだったはず。 グラフ誌の編集者である飯沢が、同業者の彼らと親交を持っても不思議ではない(『ほろにが通信』に4コマ漫画を連載した根本進も『週刊サンニュース』の出身)。 飯沢は、いい意味でバタ臭い岡部の画力を評価し、朝日麦酒の仕事を依頼したのだろう。
岡部は、そんな飯沢の期待を裏切らず、草創期の宣伝活動で大きな役割を果たす。『ほろにが通信』第36号(昭和28年8月号)の「ビールの王冠の利用法」(*4)のように、 描き手への信頼がなければ成立しないページも任された。 なかでも岡部の名を高めたものとして、「アサヒビールはあなたのビールです」のキャラクターであるミスター・ホップ(*5)は無視できない。
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「アサヒビールはあなたのビールです」は、昭和27年に生まれたキャッチコピーで、業務第1課の三國一朗が原案の「アサヒビールはあなたのビール」を考え、河井公二が「です」の2文字を加えて完成させたらしい。 当時としては画期的な消費者優位のコピーで、広告業界の注目を集めた。そうなると朝日麦酒としては、これを徹底的に消費者に刷り込みたい。 「アサヒビールはあなたのビールです」は、新聞・雑誌・中吊り広告、ポスター、ラジオCMと、さまざまな媒体で用いられた。とくに好評だったのが、『週刊朝日』のひとコマ広告「アサヒビールはあなたのビールです」と、 岡部冬彦イラストのキャラクター「ミスター・ホップ」だった。
朝日麦酒にはすでに、キャラクターのほろにが君がいたが、「アサヒビールはあなたのビールです」とは口にしない。口にするのは、ミスター・ホップだけである。 しかも彼は、「アサヒビールはあなたのビールです」以外のコメントはなにも話さない。つまり、キャッチコピーのためだけに誕生したキャラクターであった。
ミスター・ホップの「アサヒビールはあなたのビールです」は、昭和27年2月から『週刊朝日』に掲載され、昭和47年まで続くロングラン広告となった(*6)。 彼は、とにかく神出鬼没である。泥棒をつかまえる警官を邪魔したり、デモの行列に乱入したり、他人の家の冷蔵庫に勝手に入ったり、女風呂をのぞき見したり、犬小屋にもぐり込んだり、とにかく迷惑このうえない。 それも毎週懲りずに登場しては、「アサヒビールはあなたのビールです」とだけ口にする。 海外の漫画文化の影響を受けた岡部の作だけに、ミスター・ホップにはどこか西洋的な雰囲気があり、日本人離れした図々しさを持つ人柄となった。
この広告は、朝日麦酒初のシリーズ広告「ほろにが人生」からヒントを得たようだ。読売新聞夕刊に掲載された「ほろにが人生」(本連載第4回参照)は、 広告費の安い小さなスペースを使い、出稿回数を増やして目立たせるアイデアがあった。 『週刊朝日』の広告は、飯沢と岡部、長谷川遠四郎以下、業務第1課のメンバーが、それぞれ知恵を出し合ったうえでの企画と書くべきだろう。
扇谷正造が編集長だった当時の『週刊朝日』は、100万部をこえる部数をほこり、広告の訴求力は抜群だった。 また、週刊誌に掲載することで、ニュース性を加味することができる。ミスター・ホップの出没場所を見ると、デモ隊であったり、ロケットであったり、選挙演説会であったり、世相を反映しているのがわかる。
たとえば、昭和31年2月12日号掲載の広告を見ると、ミスター・ホップのそばにヒトデの形のお化けがいる(*7)。 これは、当時封切られた大映映画『宇宙人東京に現わる』(*8)に登場する宇宙人「バイラ星人」で、岡本太郎がデザインした。 映画を見た岡部が、岡本の斬新なキャラクターデザインに心惹かれ、そのままパクったのかもしれない。
『ほろにが通信』でも、ミスター・ホップは話題の人物となる。第25号(昭和27年9月号)では、特集記事「アサヒビールはあなたのビールです」(*9)が組まれ、扇谷正造、河野鷹思、 評論家の浦松佐美太郎の3人が、ミスター・ホップにエールを送った。そのなかで扇谷は《安上がりのくせに、いやに効果的な広告を発明した》と書き、 河野は《人の都合などおかまいなしに現われる所に、却てその自信のかげにもののあわれを感じる》と、彼の人となりを評した。 また、休刊する第55号(昭和30年6月号)では、デート中のほろにが君と三ツ矢嬢を、ミスター・ホップが邪魔するイラスト(*10)が掲載されている。
当時、こうした広告漫画は数多く、日本麦酒の「ビールの王さま」(やなせたかし)、寿屋の「赤玉一家」(津田亜平)、明治製菓の「キャラメルぼおや」(茂田井武)、 野田醤油の「キッコと万太郎」(大橋正)、三洋電機の「サンヨー夫人」(杉浦幸雄)などがあった。ミスター・ホップも広告漫画の1つだが、のぞき風呂のような犯罪行為に走ってしまう不健全さは、 他社のキャラクターには見られないブラックユーモアといえる。
このように、ミスター・ホップの知名度アップと合わせて、岡部の漫画家としての知名度も上がっていく。 昭和31年からは、『週刊朝日』で 「アッちゃん」(*11)を連載。平凡なサラリーマン家庭の子どもの日常を描いた本作は、通算676回、連載期間13年におよび、ソニーのキャラクター「ソニー坊や」へそのまま用いられた。ほかにも、いたずら好きの幼児の愛すべき行状を描く「ベビーギャング」、小言幸兵衛の中間管理職が主人公の「オヤカマ氏」 などの連載漫画で人気を博し、昭和36年度の文藝春秋漫画賞を受賞した。
さらに、鉄道マニアの岡部は、 昭和34年に絵本『きかんしゃやえもん』(岩波書店/*12)を刊行。 阿川弘之の文章とともに、蒸気機関車を擬人化したイラストが評判をよぶ。本作は、初版から半世紀近くたった現在も版を重ね、日本の名作絵本として長らく愛読されている。
こうしてみると、なによりもまず、飯沢匡の先見の明、若手発掘のセンスのよさに驚かされる。飯沢が朝日麦酒へいざなった若者は、三國一朗、川本喜八郎、根本進など、少なくない。 岡部冬彦もまた、そんな若き才能のひとつだったのである。
(つづく)