● 濱田研吾 ●
朝日麦酒のイメージキャラクター「ほろにが君」がデビューしたのは、昭和25年4月。同社初の新聞広告「ほろにが人生」でのお目見えとなった。 最初は顔だけのイラストだったが、のちに川本喜八郎が人形化し、『ほろにが通信』創刊号の表紙に登場する。ここまでの出自については、 本連載の第4、6回を読んでいただきたい。
「ほろにが君」という名前がおおやけにされたのは、デビューから半年後のこと。「ほろにが君 自己紹介」と題され、『ほろにが通信』第2号(昭和25年11月号)に紹介されている。 無署名の記事だが、ユーモアがきいていて、これがなかなかおもしろい。
《ビールに似てホロッと苦いのが人生、それを人形にすると小生の如き形となる次第。先号表紙で御目見得以来つねに美人を横目に見ているのが拙者の運命である。 それ以上は近づかないのである。人生を横目で見るのがほろにが人の態度だからである》
第2号の表紙(*1)を見てみると、ホステスを横目で見つめるほろにが君が左下にいる。のちに寿屋(現・サントリー)が、 柳原良平デザインのアンクルトリスをデビューさせるが、女性に興味を示すキャラクターという点で共通していた。 ただし、ほろにが君はお金持ちのおぼっちゃま風であり、アンクルトリスは悲哀を感じさせる管理職サラリーマン風といえる。
『ほろにが通信』の表紙モデルにホステスを起用したのは、営業サイドの要求だった。 しかし、それに難色を示した飯沢匡がビールの雑誌にふさわしい趣向として、ほろにが君とホステスを一緒にならばせた(本連載第6回参照)。 でも、第2号を見るかぎり、ほろにが君は刺し身のつまでしかない。
つづく第3号(昭和25年12月号)も、ほろにが君のあつかいは良くない。表紙(*2)をみると、またもやホステスを横目で見つめていて、ほろにがいにおいをただよわせている。
第3号では、東京・新橋駅前「ブラック・アンド・ホワイト」につとめるローズさんが、表紙モデルをつとめた。 ローズの名にふさわしくエキゾチックな顔だちをしているが、この女性こそ、旅行ジャーナリストの兼高かおる、その若き日の姿である。本名を兼高ローズ(昭和3年生)といい、インド人の父親をもつハーフだった。
兼高かおるといえば、「ここが○○ですのよ」という山の手口調が印象的な『兼高かおる世界の旅』(TBSテレビ)を思い出す人が多いだろう(兼高のきき手をつとめた芥川隆行の話術がすばらしかった!)。 この番組がスタートするのは昭和34年で、『ほろにが通信』のモデル当時は、無名の一ホステスだった。パンナム航空で世界を飛びまわる彼女にとって、若いころ水商売でバイトをやっていたことは、触れられたくない過去なのかもしれない。
ただ、焼け跡がのこる昭和25年当時、この美貌はさすがというべきか。ほろにが君が、ホステスにみとれてしまうバーチャルな設定も、これくらいインパクトのある美女であれば、説得力がある。
このように第2、3号の表紙を見ていくと、ホステスを表紙のメインモデルとし、ほろにが君をオマケのあつかいにしていることがわかる。
ところが、第4号(昭和26年1月号)の編集中に問題がおきた。表紙(*3)には、画家の土方重巳が干支である2匹のうさぎを描き、 ホステスやほろにが君はどこにも登場していない。これについて業務第一課の河井公二は、 《大阪にバーガールの写真を依頼したものの、どうしょうもないものを送ってきたので、急遽、変更してたまたまウサギ年の正月だったのでそのイラストで補った》と『アサヒビール宣伝外史』のなかで証言している。
河井のいう《どうしょうもないもの》というのは、どういう意味なのか。ホステスの顔がブサイクだったのか? それとも単に写真がピンボケだったのか? くわしいことはわからないが、これをきっかけにしてほろにが君は、めでたく表紙のメインモデルに抜擢されることになる。
そして、第5号(昭和26年2月号)では、雪のふる夜、暖炉の前でパイプをふかしながらアサヒビールを楽しむほろにが君を表紙(*4)にあしらった。 クレジットはないが、土方重巳の舞台設定をもとに、川本喜八郎がつくったものだ。ホステスがモデルのものとくらべると、あきらかにこちらのほうがかわいいし、ビールの雑誌らしい独自性がある。 薄っぺらいPR誌といえども、表紙は雑誌の顔である。バーのホステスとほろにが君では、読者にあたえる印象はまったく違ってくる。雑誌編集者の飯沢が表紙のデザインにこだわったのも、無理もない。
以後、『ほろにが通信』の表紙は、ほろにが君がメインモデルとなり、生身のホステスが登場することはなくなる。 そのかわり新キャラクターとして、三ツ矢サイダーの「三ツ矢嬢」が登場し、 ほろにが君とのお付き合いをスタートさせた(ふたりの関係についてはあらためて述べる)。こうして『ほろにが通信』は、童話風のほのぼのテイストへと変化していくことになる。
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ほろにが君はその後、アサヒビールのイメージキャラクターとして大活躍していく。 新聞広告(*5)、仲むつまじい三ツ矢嬢との絵はがき(*6)、商品リーフレット(*7)、特約店にくばられた陶器製のディスプレイ人形(*8)、 さらにはテレビCM(*9)やPR映画に登場し、アサヒビールの顔としておなじみの存在となった。
なかでも、贈答用のカートンボックス(*10)は、ほろにが君の知名度を高めたグッズだった。ケースのまわりには、川本がこしらえた人形をあしらい、手にもったビール瓶がほほえましい。 それまでの贈答用ボックスは、重たい木箱が用いられていたので、このカートンボックスは持ち運びに便利だった。しかも、チャーミングな外装だったため、品切れになるほどの評判を呼んだという。
『ほろにが通信』の読者のあいだでも、ほろにが君の人気は高かった。第28号(昭和27年12月号)では川本の監修のもと、人形のつくり方を紹介した「ほろにが君の冬仕度」(*11)を掲載し、 「ほろにが君をつくりたい!」という読者の要望にこたえた。
アサヒビールの顔となったほろにが君からは、人形が持つ癒しの効力にこだわり、大人の飲み物にメルヘンの味わいをくわえようとした飯沢の期待を感じさせる。 その期待に川本は、見事にこたえた。けれども悲しいかな、ほろにが君の活躍は、じつはそれほど長くなかった。
昭和30年代半ばになると、人気俳優や動物をキャラクターにした広告が増え、ほろにが君や三ツ矢嬢といった自社キャラは姿を消していく。 ビールは子ども相手の飲み物ではないため、そこまでキャラクター展開する必要性がなかった。結果、ほろにが君は、企業の顔として末永く活躍し、多くの人に記憶されることにならなかったのである。
ただし、サントリーが平成15年に、アンクルトリスを22年ぶりに復活させたことは記憶に新しい。新作のテレビCMやグッズがつくられ、人気をはくしたときく。 ほろにが君をいま、業績好調なアサヒビールに里帰りさせたら、新鮮でおもしろいと思うのだが……。
ちなみに本連載ではこれからも、ほろにが君にお付き合いいただく。その活躍はまだ始まったばかりだ。
(つづく)