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読んで楽しい 日本の唱歌Ⅱ

中村幸弘 編著

明治・大正・昭和(戦前)に作曲され、今日までなお親しまれている学校唱歌58曲を選りすぐって、その素材となった昔話/動物/自然/生活/伝記に分類、往時を懐かしんで綴られています。 ――聴いて楽しいCD(付録として、35曲入り)付き。

『読んで楽しい 日本の唱歌Ⅰ』はこちら
『読んで楽しい 日本の童謡Ⅱ』はこちら

A5判・並製288ページ
装幀:林哲夫

ISBN978-4-8421-0097-5 C0095
本体 1,800円 + 税
付録 唱歌CD(ⅠⅡのうちから35曲収録)
ご注文はこちらから  
読んで楽しい 日本の唱歌Ⅱ
『読んで楽しい 日本の唱歌Ⅱ』
収録「菅公」(試聴)

※データサイズの関係から、音質を下げ、1番のみ配信しております。
「菅公」
作詞・大和田建樹
作曲・多梅若
歌・岩間和子(合唱団さくらそう)


学者の家に身は出でて
たちまち上る雲のうえ
よし禍いにかかるとも
いかでか君を忘るべき


おおわばおおえ雲霧よ
心の月はくもりなし
ただ一片の誠忠を
知るは天地の鬼神のみ

目次・案内文

Ⅰ 昔話唱歌

キンタロウ
「キンタロウ」ってだれだろう? 「マサカリ」というもの、知っていますか?
「スモウ」「ハッケヨイ」の語源、わかりますか?

モモタロウ
なぜモモから生まれたのだろうか? モモのもつ力とは、どんなものなんだろうか?
家来の犬・猿・雉子と、『西遊記』に出てくるサル・ブタ・カッパの相違も知りたい。

さるかに
「猿蟹合戦」といわれる昔話。
サルに殺されたカニの、そのあだ討ちに加勢する蜂・卵・立ち臼の役割とは?

うらしまたろう
三年の月日を竜宮城で遊び暮らした浦島太郎は、それからどうしたのだろうか?
玉手箱から出た煙、何を意味しているのだろうか?

はなさかじじい
正直じいさんと意地悪じいさんは、いったい何を象徴しているのだろうか?

おおえやま
大江山の酒呑童子を退治する四天王の話。「鬼」とは、はたしてどういうものなのだろうか?

うさぎとかめ
『イソップ物語』に由来する民話。「もしもし」って、どういう意味のことば?

大こくさま
「大こくさま」とはだれのこと? 「うさぎ」と「わに」が、象徴するものは?

一寸法師
「一寸」「京」「三条」「姫」「清水坂」「鬼」というものが紹介されてゆく過程における、
サクセスストーリーの意味するところは?

桃太郎
さきの「モモタロウ」から11年後(明治44年)に、文部省唱歌として発表された歌
――民俗学のテーマともなっています。

浦島太郎
上記「桃太郎」同様に、「うらしまたろう」から11年後(明治44年)に、文部省唱歌として発表され、
その歌詞内容も、より具体的になってきています。


Ⅱ 動物唱歌

蝶々
第一連の「ちょうちょう」に対して、第二連では「すずめ」となっているのは不思議です。

うさぎ
「うさぎ」は、「十五夜お月さま」を見て、なぜ跳ねるのだろうか?

鳩ぽっぽ
「鳩」の語源は? 「ぽっぽ」とはなあに? 寺社と鳩の結びつきを考える。

こうま
この「こうま」、どうして「小馬」であって、「子馬」ではないのだろうか?

虫のこえ
「松虫」「鈴虫」「きりぎりす」「くつわ虫」「馬おい」
――いずれも、まなこを閉じ、耳をすまして「秋の夜長」に、聴き入りたいものです。


さきの「鳩ぽっぽ」から11年後(明治44年)に、文部省唱歌として発表されたもので、
場所も公園などに移行しています。

かたつむり
「でんでん虫」の「でんでん」とは、なんのこと。
「かたつむり」と「かたつぶり」「マイマイ(舞い舞い)」について教えてくれます。

池の鯉
「池」という言葉の意味?
そして、この池は自宅にある池なのだろうか、それとも公園にある池なだろうか?


「ほたる」の語源は? そしてなぜ、蛍は光り輝くのだろうか?

ウグイス
「春告げ鳥」ともいうウグイスの初音を聞く喜びを、
なぜか日本人は、昔から生きる喜びとしてきているのです。


Ⅲ 自然叙景唱歌

ツキ
三日月や半月ではなく、まるでお盆のようにまん丸い月。その月の出を賞賛しています。

ふじの山
「ふじ」は「富士」以外に、「不二」とも「不尽」とも書かれ、
各地で、頭に旧国名を冠して呼称されるほどに、やはり「日本一」の山なのである。

春が来た
春が、どこに、山に、里に、野にも「来た」。花が、どこに、山に、里に、野にも「さく」。
鳥が、どこで、山で、里で、野でも「鳴く」。すべてが「山」と「野」に収斂されてゆきます。

紅葉
「紅葉」の語源は、「もみつ(=黄色や赤に色づく)」で、
それが変化して「もみづ」となり、やがて紅葉と書かれるようになってゆくのです。


「雪」の語源は? 「雪や」の「や」は、はたしてなんなんだろうか?

春の小川
「さらさら流る」「ささやく如く」は、時代とともに、
やがて「さらさらいくよ」「ささやきながら」という口語体に変わってゆきます。


「昼の海」と「夜の海」との、見事な対比。
「松原遠く」という白砂青松(はくさせいしょう)の海岸、いまではどれだけ残っているのでしょうか?

冬景色
畑や野辺のある里、そこには入り江があって舟もつながれている。
初冬の村里の、朝方から夜にかけての、のどかな日本の原景色を謳っています。

朧月夜
春、自然のあらゆるものの芽吹こうとする時期。仕事や学業についても大いなる期待がもたれます。
そうした穏やかな雰囲気を醸し出す叙景唱歌です。

浜辺の歌
古典語にいう「あした」とは、明日ではなく、「ゆうべ」も、もちろん昨夜ではありません。
浜辺を散策しながら,来し方を思い巡らしている詩人の姿を垣間見ます。

チューリップ
カタカナ書きで表記されたこの歌は、
小学校入学期を迎えたお子さんをもつ家族みんなが、そろって歌っている唱歌です。

牧場の朝
「まきば」であって、「ぼくじょう」ではありません。
「ポプラ」「羊」とありますから、その場所はどこでしょうか?
そこの、秋の牧場風景を描いています。

ウミ
水平線のかなたまで一望される水は、すべてウミと表現されます。
飛行機などという乗り物の、まだほとんど考えられない時代に、
外国へ行くには船でしかありませんでした。


Ⅳ 国民生活唱歌

お正月
クリスマスの行事などまだほとんど行われていなかった明治から戦前の日本では、
指折り数えてお正月を待つ楽しみは特別のもので、男の子も女の子も同じでした。

日の丸の歌
「日の丸」の起源は? そして、それはいつ日本の国旗となったのだろうか?

人形
ひな祭りなどの人形に対して、「目はぱっちりと」した西洋人形のつくりにあこがれた女の子たち。
明治末年以降の、日本の家庭でよく見かけられた光景だったのでしょう。

案山子
「かかし」の語源は? 何ひとつ不平もいわずに一日中立ち尽くしているかかし。
それは健気で、かわいくもあり、切なくもあり、同時にまた滑稽でもある、田園風景です。

茶摘み
「茶摘み」から、「茶揉み」「茶選り」という工程をへる、茶作り作業には、
それぞれに労働歌が用意されています。
一見のどかに見える仕事も、それだけ重労働でもあったという証(あかし)です。

村祭り
「鎮守」とは、ある一定の地域において、地霊を鎮め、その土地を守護する神をいいます。
「村」という単位はほとんど失われていても、まだ地方では、その精神が残っています。

村の鍛冶屋
「いっこく老爺(おやじ)」「早起き早寝」「平和のうち物」
「らん惰の敵」「かせぎにおいつく貧乏なくて」などなど、
いまでも見習うべき、職人的人生哲学が、随所に見られます。

鯉のぼり
5月5日(端午の節句)は、本来は男の子の節句祝いです。
親は、「鯉」が「竜」になることを夢見ながら、子供たちの成長を心から願っています。

故郷
「こきょう」と音読みしないで、「ふるさと」と読みます。
都会にあこがれ出た若者たちが、錦を飾って、あるいは夢破れても、帰ってゆくことができるところ、
それが、ふるさとです。

コイノボリ
上記「鯉のぼり」から20年ほどたった昭和6年に作られた、このカタカナ書きの歌には、
お母さんが登場してきません。それが不思議です。

電車ごっこ
昔とはいっても、昭和39年の東京オリンピックころまでは、バスの車掌さんは女性が主で、
路面電車の車掌さんは男性でした。この曲が作られたのは、昭和7年です。

花火
花火が日本にもたらされたのはいつのことでしょうか?
江戸時代になると、納涼諸行事の一つとして定着していったようです。

田植え
日本人にとっての主食である米。
したがって、その食糧の生産努力は日本人の悲願でもあります。
現代の日本人も、いま一度、再認識すべき大事な農作業でもあります。


Ⅴ 伝記唱歌

四条畷
後醍醐天皇に呼応し、挙兵して敗れた楠正成(まさしげ)。
その子、正行(まさつら)・正時兄弟は、
父の遺志を継いで南朝に仕え、北朝方の高師直と戦い、敗れた生涯を歌っています。

菅公
菅公とは、学問の神様として崇められる菅原道真のことです。
天皇の信を得て、右大臣という高位にまで上り、そのことで藤原氏一族の妬みを買い、
やがて太宰府へ左遷されてしまいます。

牛若丸
鎌倉初期の武将、源義家の9番目の子として生まれた義経は、
平家によって滅ぼされた父の仇を、兄頼朝と力を合わせ討ち果たすという、
一連の功名を高らかに謳っています。

ワシントン
アメリカ建国の父です。
アメリカ合衆国初代大統領ワシントンの手によって、
本国イギリスからの自由と独立とを勝ち取ったのです。

二宮尊徳
江戸時代後期の農政家といわれた人、二宮尊徳の若い頃の生活ぶりと、
農政家としての業績を紹介し、称えています。

牛若丸
上記「牛若丸」から10年をへた明治44年に、この歌は作られました。
ここでは、牛若丸と呼ばれていた若者の時代に、京の五条の橋で、弁慶を懲らしめる話です。

二宮金次郎
上記「二宮尊徳」から9年をへた明治44年に、この歌は作られました。
「金次郎」とあるように、その少年時代の孝行息子であったことに限っての歌内容となっています。

那須与一
源平合戦において源義経に従って活躍した武者の一人で、屋島の戦い(1185)の、
いわゆる源平勝負において、馬上から舟上の扇の的を射落として、名を上げた人です。

広瀬中佐
日露戦争の旅順港封鎖作戦(明治37年)において、
行方不明になった部下を船内隈なく探索するも見つけられず、
脱出が遅れることで、ついには自らの命をも落とす話を謳っています。

児島高徳
後醍醐天皇に呼応して挙兵し、天皇が隠岐に流されると知って、
岡山県津山にある院の庄の天皇の宿舎に忍び込み、中国の故事に因んだ詩句を桜の木に刻みこんだという忠臣の話です。

君が代
古今集・賀の歌「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔の生すまで」を下地として、
日本の国歌として、歌われてきています。