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読んで楽しい 日本の唱歌Ⅰ

中村幸弘 編著

明治以来、今日まで歌い継がれている唱歌のなかから、美辞を極めた文語定型の歌詞31曲を選び、 適切な現代語への訳出と読解に加えて、格調高い味読鑑賞を試みています。――聴いて楽しいCD(Ⅱの付録として、35曲入り)付き。

『読んで楽しい 日本の唱歌Ⅱ』はこちら
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四六判並製・368ページ
装幀:林哲夫

ISBN978-4-8421-0092-0 C0095
本体 1,429円 + 税
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読んで楽しい 日本の唱歌Ⅰ
目次・案内文

蛍の光
蛍の光や窓の雪で学問したという中国の故事を引いて、学習の日々を振り返りながら、卒業の日を詠んでいます。和歌のレトリックを用いた優雅な表現の一方に、富国強兵思想までが窺えます。明治14年制作の小学唱歌。

あおげば尊し
先生に心から感謝して卒業してゆく小学生、立身出世を期待して送り出す先生方。明治17年のころ、先生と生徒は、そうでした。生徒の暴力に脅える現代の先生方には、羨しい時代でした。係り結び表現もある小学唱歌。

紀元節
建国記念日を歌った学校行事用の唱歌です。私たちの先祖は、天上界から宮崎県の高千穂に下ってきました。古事記・日本書紀に、そう書いてあります。 最初の天皇・神武天皇が即位なさった日が紀元節=建国記念日なのです。

故郷の空
「夕空晴れて秋風吹き」という歌詞は知らなくても、横断歩道の緑信号のときに流す曲として知っている方も多いと思います。 スコットランド民謡です。秋の夕暮れ、故郷の父母を懐かしむ設定で、センチメンタリズムの極です。

埴生の宿
「はに」とは〈土〉ということで、「埴輪」の「埴」です。土の上にごろ寝するような粗末な家でも、自分の家だったら、どんなお邸よりも素晴らしい、というのです。旧制中学校の生徒のための唱歌でした。

元寇
「寇」は〈あだ〉ということで、元の国の侵略を受けた、という意味になります。北条時宗執権時の大事件です。幸い、軍事力による応戦と季節の大風とで元軍を敗退させました。その奮闘ぶりや鎌倉男子(だんじ)の心意気を歌います。

敵は幾万
明治時代の日本陸軍が見えてきます。その意気込みも見えてきます。その敵国は、特定できません。その仮想敵国は、正に対する邪で、敗れて逃げていきます。そうして、日本帝国の勇士を称えます。原題は「戦景大和魂」。

天長節
天皇誕生日を、みんなで祝いました。「今日の吉き日」という表現、いまでも結婚式の司会者が使いますが、この歌詞に始まるのです。その天皇のお誕生を、「御光のさし出たまいし」と歌います。天皇は、現人神(あらひとがみ)でした。

一月一日
その昔、1月1日は、登校日でした。この唱歌を歌うのが、一年の最初の恒例行事でした。門松を立てた町々、凧揚げや羽根つきをしながら、みんながこの唱歌を歌っていました。終わりない治世を寿(ことほ)ぐ近代日本の元日でした。


「港」といっても、漁港もあれば、軍港もあります。この港は、貨物船が行き交う商港です。それを、古典語で歌っています。教育唱歌といわれ、啓蒙的な姿勢が窺えます。

夏は来ぬ
「夏は来ぬ」の「来ぬ」は、〈来た〉ということです。作詞者は、明治の代表歌人・佐佐木信綱。したがって、日本古典の美辞で構成されます。時鳥(ほととぎす)の忍ぶ音(ね)・早苗植うる早乙女・橘香る軒端など、夏の風物が溢れています。

青葉茂れる桜井の
大阪府北部、三島郡島本町の桜井の歌、いま、どうなっていましょうか。南北朝のころ、後醍醐天皇に呼応して挙兵した楠正成(まさしげ)が、その子正行(まさつら)と決別した地です。父と同行しようとする正行、帰そうとする父。情感あふれる名場面です。

鉄道唱歌
汽笛がポーと鳴りました。新橋から発車しました。高輪泉岳寺のあたり、品川駅、横浜ステーションというように、名所旧跡から名産品まで、次々と紹介して走ります。山陽道に入る直前までで、第六十六番となっています。


「花」という題、「春のうららの隅田川/のぼりくだりの船人が/櫂のしずくも花と散る/ながめを何にたとうべき。」と結びつきません。歌詞の「花」は、比喩です。全体は墨堤(ぼくてい)を詠んでいて、〈桜の花〉をいっているようです。

春爛漫の花の色
美辞麗句を重ねて、第一連が春、第二連が秋の自然美を称えます。ただ、文構造の見えてこないところがあります。第三連に「向陵(こうりょう)」とあって、東京・文京区の旧制一高とわかります。以下、漢文口調の哲学が展開されます。

箱根八里
箱根の山が、いかに険阻(けんそ)な地勢であるかを歌った、旧制中学用の唱歌です。箱根は、中国の函谷関(かんこくかん)など、問題にならない、と、いいます。この函谷関、漢文の素養が必要です。漢文口調で、剛毅な気風が満ちています。

荒城の月
荒れはてた城跡、そこに月が射しています。往時が偲ばれ、観桜の宴席が幻視されてきました。献酬する武士たち、老松の枝から漏れ出た月、しかし、はっと気づくと、何も見えません。モデルのお城、複数あるそうです。

嗚呼玉杯に花うけて
玉の杯に花びらを浮かべ、その旨酒(うまさけ)に月の光も映して、世俗を次元低いものと見る旧制一高寮生は、その気概が高い、というのです。弊衣破帽(へいいはぼう)で、この寮歌を放吟していました。同一名の小説、佐藤紅緑(こうろく)の友情小説でした。

戦友
ここ、満州は、日本から何百里も離れています。その満州で、赤い夕日に照らされて、戦友は野末の石の下に眠っています。銃弾の飛び交うなかでの友情、互いに交わす兵隊ことば、切々と胸打つものがあります。

美(うるわ)しき天然
「美しき天然」は、歌詞もさることながら、楽曲が人々を惹きつけました。ジンタの音(ね)です。空に囀(さえず)る鳥の声を始め、滝の音も海の音も、みな自然の音楽で、創造主の力によるものです。サーカス小屋から、よく聞こえてきました。

紅萌ゆる岡の花
いまは、京都大学の一部となった、旧制第三高等学校の逍遥歌です。紅色の草花が芽を出している岡の、その花、若葉の緑、というと、京都の吉田山です。希望に胸ふくらませて、そこを散策する哲学青年が口ずさむ歌です。

青葉の笛
『平家物語』の〈敦盛(あつもり)最期〉を素材に、小学生向けの歴史教材唱歌です。一の谷で敗れた平家の公達(きんだち)の悲劇で、須磨の嵐のなか、敦盛の吹く青葉の笛が聞こえてきます。第二連では、武人で歌人の平忠盛の都落ちが歌われます。

旅愁
原曲は、アメリカのDreaming of Home and Motherです。「更け行く秋の夜」に旅愁を感じて、感傷に浸っている若者の呟きといっていい歌詞です。浮かんでくるのは、故郷と父母、しかし、第二連では、窓打つ嵐です。

故郷の廃家
何年ぶりかで故郷に来てみると、花も鳥も風も、小川のせせらぎまでも変わっていないが、荒れはてたわが家に住む人はいません。第二連に入って、その懐古の思いは、幼いころの友人を追い求めることになってゆきます。

野なかの薔薇
童(わらべ)は見ました。野なかに咲いているバラを見ました。その「わらべ」は、男の子なのでしょうか、女の子なのでしょうか。そのバラ、手で折っていってよいでしょうか。「手折(たお)らば手折れ」、折ってかまわないでしょう。

ローレライ
ジルヘルの「ローレライ」を、日本の女声唱歌としたものです。歌詞も、〈どうしてかはわからないが、〉の意を「なじかは知らねど」と、古典語に訳しています。ドイツのライン川右岸にある巨岩についての伝説を歌っています。

七里ヶ浜の哀歌
明治43年1月23日の午後、七里が浜沖で、逗子開成中学校生徒12名を乗せたボートが沈没しました。その2月6日に行われた法要の席で、鎌倉女学校生徒が合唱した哀悼歌です。切々と歌い上げる、恨み深い七里が浜辺です。

水師営の会見
明治37、8年の日露戦争は、アメリカ大統領ルーズベルトの斡旋で、その9月16日に休戦となりました。そこで、水師営という所で日本の乃木大将とロシアの将軍ステッセルとの会見ということになりました。「きのうの敵はきょうの友」を代表する歌となっています。

われは海の子
白浪騒ぐ磯辺の松原に煙がたなびいている苫屋(とまや)、それが懐かしいわが家です。生まれたときからの海の子で、海の気を吸って育ってきています。赤銅色(しゃくどういろ)の肌、逞しい、この少年、やがて世界の海に乗り出していくことでしょう。

鎌倉
鎌倉には、武家政治の興亡が渦巻いています。稲村が崎の古戦場、露座の大仏、鶴岡八幡宮、静御前の若宮堂、大塔宮の鎌倉、建長寺や円覚寺、鎌倉観光コースご案内唱歌といっていい構成となっています。

都ぞ弥生
北海道帝国大学の寮歌です。そこには、人間社会において最も清潔な国と思い焦がれてやって来た青年たちの情熱が溢れています。程よく漢語を交えた美辞麗句から成っていますが、読解困難な文脈もあります。