新版忘れ得ぬ国文学者たち并、憶ひ出の明治大正伊藤正雄 著
昭和48年初版。30年ぶりの新版。 ISBN978-4-8421-0007-4 C0095
本体 2,800円+税 |
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目次
はしがき(元版) 父の思い出 佐伯かをる 第一部 忘れ得ぬ国文学者たち―わが戴恩記― 私の三四郎時代(昭和三八、二) 一 震災直後の東大風景 二 上田・保科の両先生 三 藤村・久松・佐佐木の三先生 四 沼波・志田の両先生 五 沼波先生と私 六 その他の諸先生 七 一去三十年 上田萬年博士(昭和四二、一一)―生誕百年・没後三十年に憶う― 上田萬年博士略歴 一 日本言語学の草分け 二 政治家的学者 三 外山博士と上田博士 四 新体詩人上田萬年 五 江戸文人の伝統 六 上田博士と門下生 上田萬年先生遺聞(昭和四二、一〇)―山田孝雄博士からの聞書― 上田萬年先生と私(昭和四二、一〇) 大学講壇における沼波瓊音先生(昭和二、一〇) 沼波瓊音先生略歴 沼波瓊音先生の風格(昭和一〇、一〇) 瓊音先生片影(昭和四五、八))―″脱文学″を志した憂国の国文学者― 一 わが″心の師″ 二 先生と古人 三 先生の教育観 四 先生の日常 五 先生の病気と逝去 六 先生の家族 七 著作と遺稿 八 先生の本質 私の見た藤村作先生(昭和四五、九)―大正・昭和前期国文学界の実力者― 藤村作博士略歴 一 藤村先生と私 二 先生の人柄 三 近世文学研究の業績 四 国文学の普及と後進の指導 五 晩年の先生 六 平凡の巨人 佐々醒雪博士(昭和四三、五))―国文学界・忘れ得ぬ人― 佐々醒雪博士略歴 一 『新撰国語読本』の思い出 二 近世文学開拓の業績 三 私の受けた学恩 四 『心中天の網島』につながる因縁 五 『醒雪遺稿』の面目 六 「静かな時を求めつつ」 七 醒雪博士と瓊音先生 潁原退蔵博士と私(昭和二四、八) 潁原退蔵博士略歴 新村出博士のプロフィル(昭和四三、八) 新村出博士略歴 一 一代の学匠 二 秘められたる反骨 三 兼好宗の使徒 四 福沢諭吉を感服させた先考の遺書 五 ″愛語″の生涯 岩本素白先生のこと(昭和三八稿・同四八、五補稿) 岩本素白先生略歴 一 江戸前の市隠 二 素白先生手簡 三 『素白随筆』について 荒木良雄博士を憶う(昭和四四、一二) 荒木良雄博士略歴 一 博士の輪郭 二 「病間録」 三 出来上がった人 四 甲南大学との因縁 五 晩年の著書について 第二部 憶い出の明治大正―わが六・五・三・三時代― 瞼に残る明治のおもかげ(昭和四三、一一―四四、一) 一 四谷と新宿 二 照明と交通機関 三 幼稚園と小学校 四 文房具と学用品 五 あぐらと立て膝 六 あばた・ほりもの・チョン髷・士族の標札 七 浅草と隅田川 八 讃岐屋と天金 九 物売りの声 一〇 遊戯 一一 マッチのペーパー・ふいるむ・ビリケン・ポンチ 一二 お伽話と少年雑誌 一三 『芳水詩集』 一四 回覧雑誌 明治末期の世相風俗について(昭和五五、一〇) 一 活動写真 二 大相撲 三 百貨店と勧工場 四 流行歌 忘れ得ぬ明治末期の事件(昭和四五、九) 一 伊藤博文の死・大逆事件・ハレー彗星 二 佐久間艇長の殉職 三 白瀬中尉の南極探検 四 日本最初の飛行 五 広瀬中佐銅像その他 六 ニュース唱歌 「東京唱歌」の思い出(昭和四二、五) わが中学時代(昭和四五、七)―国文学に志すまで― 一 麻布中学の思い出 二 大校長江原素六先生 三 笠原節二先生の文法授業 四 塚本哲三著『国文解釈法』 五 佐々木青葉村先生の古美術教育 六 懐徳堂・洗心洞および皇陵巡拝会 七 大和田建樹と大町桂月 武島羽衣氏と金沢庄三郎博士との訃(昭和四二、八) 三高騒動のころ(昭和三四、五) わが赤門生活(昭和四三、六) 私の見た大正文士の印象(昭和三八、五) 一 有島・芥川・武者小路・菊池など 二 小山内薫と岡本綺堂ら 道頓堀回顧(昭和四八、一)―大正時代の大阪の芝居― 一 五座の今昔 二 鴈治郎と延若 三 連鎖劇と喜劇 四 思い出の食べもの 伊勢に赴任した坊っちゃん(昭和四二、五) 《余録》 よろめき一代(昭和四八)―わがささやかなる研究歴と著作歴― 解説 坪内祐三 |