1959(昭和34年) |
〈書評〉大間知篤三ほか編『日本民俗学大系 第二巻 日本民俗学の歴史と課題』 |
1960(昭和35年) |
〈書評〉バズル・デヴィッドソン著、内山敏訳『古代アフリカの発見』 |
1961(昭和36年) |
〈海外新刊〉ジャック・ウォーディス著『アフリカ──反抗の根』 |
〈書評〉バズル・デヴィッドソン著、内山敏訳『古代アフリカの発見』 |
〈書評〉エンダバニンギ・シトレ著、寺本光朗訳『アフリカの心』 |
1962(昭和37年) |
〈書評〉ベルナール・ド・ボー著、酒井伝六訳『アフリカ探検五千年史』 |
〈ふる本発掘〉デニス・ヂイデロ著、小林季雄訳『不謹慎な宝石』 |
〈書評〉寺田和夫著『アンデス教養旅行』 |
1963(昭和38年) |
〈書評〉ディエス・デル・コラール著、小島威彦訳『ヨーロッパの略奪──現代の歴史的解明』 |
〈書評〉ジャック・ウォディス著、アジア・アフリカ研究所訳『アフリカ──叛乱の根源』 |
〈書評〉鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし著『折伏──創価学会の思想と行動』 |
〈書評〉関敬吾編『民俗学』 |
〈海外新刊〉ウィリアム・E・ハーキンス著『カレル・チャペック』 |
〈書評〉バズル・デヴィドソン著、内山敏訳『ブラック・マザー──アフリカ試錬の時代』 |
1966(昭和41年) |
〈書評〉本多勝一・文、藤木高嶺・写真『アラビア遊牧民』 |
〈書評〉竹中労著『美空ひばり──民衆の心をうたって二十年』 |
〈書評〉酒井卯作著『陽気なニッポン人──民俗学のすすめ』 |
〈書評〉近藤喜博著『日本の鬼──日本文化探求の視角』 |
1970(昭和45年) |
〈書評〉岡本太郎、泉靖一、梅棹忠夫編『世界の仮面と神像』 |
1971(昭和46年) |
林達夫のフォークロア的世界 |
1972(昭和47年) |
〈書評〉ゴーチエ著、長田俊雄訳『サバチエ夫人への手紙』 |
1973(昭和48年) |
〈書評〉ウェイン・シューメイカー著、本田錦一郎、北市陽一訳『言語・神話・文学──文学の人類学的背景』 |
〈書評〉M・バフチーン著、川端香男里訳『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』 |
1977(昭和52年) |
〈書評〉島尾敏雄編『ヤポネシア序説』 |
1980(昭和55年) |
〈書評〉ピーター・ゲイ著、川西進、岡田岑雄訳『芸術を生みだすもの──歴史における原因について』 |
1982(昭和57年) |
社会科学における演劇性──演劇性の詩学 |
〈解説〉小苅米けん著『図像のフォークロア──イコン・民俗・ドラマ』 |
1983(昭和58年) |
〈書評〉ウィリアム・ウィルフォード著、高山宏訳『道化と笏杖』 |
〈解説〉小沢昭一著『ドキュメント綾さん──小沢昭一が敬愛する接客のプロ』 |
1984(昭和59年) |
〈書評〉大岡昇平著『姦通の記号学』 |
1985(昭和60年) |
〈書評〉郡司正勝著『童子考』 |
〈書評〉武満徹著『音楽を呼びさますもの』 |
1986(昭和61年) |
夢野久作と同時代人達──没後五十年に寄せて |
〈推薦文〉宿命的な課題──後藤総一郎編『柳田国男研究資料集成 第2期』 |
〈書評〉丸谷才一著『忠臣蔵とは何か』 |
〈書評〉井上ひさし著『泣き虫なまいき石川啄木』『國語元年』 |
1987(昭和62年) |
〈書評〉武満徹対談集『すべての因襲から逃れるために』 |
〈推薦文〉燻し銀の輝き──『櫻井徳太郎著作集』 |
〈解説〉村上龍著『テニスボーイの憂鬱』 |
1988(昭和63年) |
私の読書ノート──一冊の本が次々と他の本に連関する |
〈書評〉筒井康隆著『ベティ・ブープ伝──女優としての象徴 象徴としての女優』 |
〈推薦文〉歴史学と文学との豊かな対話──『石母田正著作集』 |
〈アンケート〉〝背徳〟の書 |
1989(昭和64年/平成元年) |
「遊牧論」をめぐって |
〈書評〉乾裕幸著『周縁の歌学史──古代和歌より近世俳諧へ』 |
1990(平成2年) |
〈書評〉藤川治水著『熊本シネマ巷談』 |
〈解説〉隈研吾著『10宅論──10種類の日本人が住む10種類の住宅』 |
〈書評〉高田宏著『われ山に帰る』 |
〈書評〉荒井勉著『北斎の隠し絵──晩年の肉筆画への執念を解く』 |
〈書評〉鶴見良行著『ナマコの眼』 |
〈書評〉K・クラーク、M・ホルクイスト著、川端香男里、鈴木晶訳『ミハイール・バフチーンの世界』 |
書店で面白い本を探すための私の方法 |
〈解説〉高田宏著『われ山に帰る』 |
〈書評〉細川周平著『レコードの美学』 |
〈推薦文〉『郡司正勝刪定集』 |
演劇記号学としての郡司学 |
1991(平成3年) |
異形性の文学──隆慶一郎の世界 |
民俗性・外地性・国際性──郡司正勝の仕事 |
〈推薦文〉大正・昭和モダニズム精神の最良の書──鶴見俊輔監修『女性』(復刻版) |
「郡司学」との出会い |
〈書評〉戸沢行夫著『明六社の人びと』 |
〈書評〉宮本徳蔵著『河原花妖──歌舞伎のアルケオロジー』 |
〈解説〉隆慶一郎著『柳生非情剣』 |
1992(平成4年) |
わたしの「心の書」 |
アナトール・フランス著『天使の反逆』 |
辰野隆著『南の窓』 |
エーリヒ・ケストナー著『ザルツブルク日記』 |
1993(平成5年) |
〈書評〉梅原猛著『中世小説集』 |
図書館人の精神史 |
1994(平成6年) |
〈解説〉宮本徳蔵著『力士漂泊』 |
「ブース古本帝国」訪問記 |
雲散夢消──蔵書の行方をめぐって |
幻視者としての古書店主 |
〈書評〉加門七海著『大江戸魔法陣』『東京魔法陣』 |
1996(平成8年) |
〈書評〉マルク・ブロック著、堀米庸三監訳『封建社会』 |
豆本の絨緞に乗って |
インドから空飛ぶ絨緞の運んで来た土産品 |
親族の教養──柴田南雄『わが音楽 わが人生』のための私注 |
1997(平成9年) |
二十世紀の名著──私の三冊 |
1.ジェイムズ・G・フレイザー著『金枝篇』 |
2.ヨハン・ホイジンガ著『ホモ・ルーデンス』 |
3.石井研堂著『明治事物起原』 |
〈書評〉ヤコブ・ラズ著、高山宏子訳『ヤクザの文化人類学──ウラから見た日本』 |
〈書評〉坪内祐三著『ストリートワイズ』 |
〈書評〉坪内祐三著『ストリートワイズ』『シブい本』 |
1998(平成10年) |
百年目の漱石 |
文芸時評 |
一九九八年七月 |
一九九八年八月 |
一九九八年九月 |
一九九八年十月 |
1999(平成11年) |
〈書評〉丸山健二著『虹よ、冒涜の虹よ』 |
神田に叱られたい |
〈書評〉安部龍太郎著『開陽丸、北へ──徳川海軍の興亡』 |
2000(平成12年) |
〈書評〉細江英公著『ルナ・ロッサ──細江英公の写真絵本「妖精物語」 』 |
ラディカルな歴史観──白土三平と隆慶一郎にあって司馬遼太郎になかったもの |
〈解説〉菅木志雄著『渡海鳴鳥』 |
2001(平成13年) |
〈解説〉坂田靖子著『伊平次とわらわ』 |
〈書評〉斎藤忠著『郷土の好古家・考古学者たち』 |
〈書評〉坪内祐三著『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り──漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代』 |
「もう一度読みたい」一冊──伊藤正雄著『忘れ得ぬ国文学者たち』 |
〈書評〉沼波万里子著『五十銭銀貨』 |
〈書評〉小田光雄著『図書館逍遥』 |
2002(平成14年) |
〈推薦文〉『松田修著作集』を推す |
2003(平成15年) |
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